2022年10月27日 東條英機の遺稿「天照皇大神宮」!
皆さま、こんにちは。
かなり、時間は経過してしまいましたが、実は、令和4年8月24日、私は滋賀県大津市にある義仲寺というお寺に行って参りました。
なぜなら、そこに曾祖父、東條英機が獄中で書き記したある一文が収められているからです。
それがこちら「天照皇大神宮」という一文。
実は、私は神社研究の道に進むにあたり、そこにはご先祖さまからの導きにも似た感覚を持っておりました。
そして、どこかのお寺に曾祖父がそうした一筆を書き認めているという事実を記憶の片隅に留めていたのですが、その記憶が曖昧で、きちんとその場所を思い出せずにおりました。
しかし、今夏、曾祖父の話を研究会で行うにあたり、もう少し調べ直そうと思って、たまたま開いた書籍の一ページに、この一筆が義仲寺にあるというのを知りました。
私もその発見に興奮して、義仲寺に電話をして確認すると、「はい、確かにあります」と伺い、この日、ようやく対面することができました。
そういう意味では、この一筆の存在こそが、今の私の活動と先祖を繋ぐ、一番の理由と感じておりましたので、その実物を目に出来るというのは、何とも感慨深いものでありました。
しかも、こちらにはこの一筆だけではなく、曾祖父が詠んだ歌など3点ほど収められており(すべて一般公開はされておりません)、不思議なもので、こちらのお寺は義仲寺というお寺の名前からも分かるように、木曾義仲が討たれた場所となります。
そう、そこは実際に義仲本人のご遺骸が眠っているのです。
しかも、その隣にはひっそりともう一人の偉人が安まっている。
それが松尾芭蕉で、実はこのお寺は松尾芭蕉のご遺骸も安まっており、そのお墓が義仲の隣に建てられているんです。
実は、意外にも感じますが、松尾芭蕉は生前、こよなく義仲の生き様に心酔し、自分が死んだら義仲の隣に安まりたいと言っていたのだそうです。
この武人と歌人の組み合わせというのは何とも奇妙ではありますが、そこに曾祖父のこのメモと歌が収められているというのは、何とも不思議な巡り合わせのようなものを感じております。
元々、これらの書は、最後の最後、戦後の東條家を託された盟友、三浦義一氏に曾祖父が獄中から贈ったものでありますが、それを三浦氏が自分が持っているのも大層だということで、ご自身も再興に尽力し、そして、自身も眠る義仲寺に収められましたそうです。
このため、こちら境内の片隅には、文芸評論家の保田與重郎氏とともに、三浦義一氏のお墓もあります。
ほんと、この世の中というものは、不思議なご縁と皮肉の連鎖で、元々、三浦氏は戦後最大の右翼・フィクサーと称される方で、本来は東條英機の暗殺計画側にいた方でした。
しかし、実行する前に東條内閣が倒閣してしまったため、暗殺する必要がなくなった三浦氏が「実際に東條英機とはどんな人間やねん」ということで、東條邸のある用賀近くに足を運んだところ、玄関先でばったりと本人と出くわし、「少し話でもするか」と応接間に招き入れると、両者は意気投合し、三浦氏が「戦後の東條家は俺が守る」と言って、二人は盟友となりました。
こうした数奇な巡り合わせが、結果、この義仲寺というお寺に英機の歌が収まり、そこに武人と歌人が実際に眠っているわけですから、本当に奇妙なことこの上ないと個人的には感じております。
そして、この曾祖父の書は、門外不出であり、その存在はほとんど公にされておりません。
実際、この義仲寺の存在は、叔母、由布子の書籍で判明したものの、当の叔母本人も実際に目にすることはなかったということですから、ある意味、かなり貴重なもので、親族が見に来られたことに対し、職員の方からも「閣下も喜ばれていると思いますよ」と非常にありがたい一言を頂きました。
こちら義仲寺は、お寺と言いながらも、実は、住職も檀家もいらっしゃらないお寺のようで、正直、申し上げて、あまり大きなお寺でもありません。
職員の方も「最近、鎌倉殿で紹介されたので、一時、参拝者が増えましたが、あまり知られていなくて」と苦笑されておりましたが、実際に二人の偉人(義仲と芭蕉)が鎮まる場所としては、なんだかあまりにももったいないような気もしております。
職員の方からも「東條さんからもぜひお寺をご紹介下さいませ」と仰せつかりましたので、関西にお越しの際には、ぜひ、こちら義仲寺さまにも御立ちより頂ければと思います。
一度、義仲寺を巡るツアーとか考えてみようかなと(笑)。
この世は何とも霊妙不可思議なるご縁によって紡がれているものですね。
東條英利 拝