2025年1月23日 [重要]HOPE 80 始動!
以前から今年は私にとって大いなる挑戦の年とお伝えして参りましたが、改めて、ご報告ができる時期にきたとの判断のもと、ここにお伝え申し上げます。
また、ご説明にあたり、多少、駄文長文になりますこと予めお詫び申し上げます。
まず、簡潔に何をするか!という点ですが、私、東條英機の直系曾孫となる東條英利は、この戦後80年の節目にあたり、以下、5名の方々と共に世界に向けて、平和を宣言いたします。
■クリフトン・ダニエル・トルーマン氏(トルーマン大統領のご令孫)
■トーシャ・ガンジー氏(ガンジーのご曾孫)
■ダンカン・サンズ氏(チャーチル首相のご曾孫)
■マガリ・ブロシュ氏(アウシェヴィッツ生存者のご令孫)
■ジェニファー・テーゲ氏(ナチス強制収容所所長アーモン・ゲートのご令孫)
そして、日米英を巡り、世界中から平和を希求するオンラインの署名を集め、国連機関もしくはそれに準ずる関係者にその意志を提出致します。
以上が概要となります。
ただし、詳細においては、予算の都合によりその可否に制限がかかる可能性もございますので、ひとまず、大筋は上記のもと、その詳細につきましては今後も多少の変更が含まれることがございますこと、予めご了承頂ければ幸いです。
そして、「平和がいい」という当然の願いは多くの誰しもが持ちつつも、この当たり前という名の無関心のもと、その願いとは異なる世界を享受してきた現代を新ためて問い直し、少しでも多くの方々とこの調和と平和の願いがこの世にあるということを皆さまと共有することができればと考えております。
もちろん、本構想は自分の分を超えた大変烏滸がましいものであることは重々理解はしております。
それでも、私もこの「東條」という名のもとに生まれ、その意味を自分なりに熟慮した結果、こうすることが最善と判断し、今回の決断に至りました。
その具体的な経緯はにつきましては、戦後70年の節目となる2015年にまで遡ります。
当初は、私も「一切語るなかれ」を家訓とし、東條家としては曾祖父のことを何も語らないことが是と考え、私もその教えを守って参りました。
しかし、その前年、父が逝去するに至り、
1.2012年に、私がギリギリの範囲にて東條英機ではなく、東條という名に生まれた歴史を語った「日本人の証明」を発売しましたが、意外にも父はその自著を高く評価してくれたこと。
2.父が何も語らなかったのは、父が直接本人(英機)と幼少期に「何も語らない」と約束を交わした当事者であったということ。
3.それでも亡くなる直前、私と共著でも良いから本を出したかったと私に本音を漏らしていたということ。つまり、本当は父も何かしら訴えたかったという願いがありながら、父の生きた時代にはそれが許されない環境にあったということ。
こうした事実があり、私も東條家の端くれとして、何か自分でもできることはないかとこの当時から意識をするようになりました。
そして、この70年という節目において、父なき状況で下した判断が、オーストラリアのTVトークショー「Insight(本質を見極める力)」への出演でした。
この時、直接、お会いすることは叶いませんでしたが、トルーマン大統領のご令孫となるダニエルさんと対話できたことは、改めて、東條という名がもたらす意味を考え直す良い機会となりました。
しかも、番組内で、曾祖父が多くのユダヤ人救済の一助を務めたことを語ったところ、番組でご一緒させて頂いたアウシェヴィッツの生存者であるポーラン人ご夫妻から直接感謝を伝えられたということ、さらに、放送に際し、番組に寄せられた100件近くのコメントに批判が一つもなく、出演に感謝されたことなども、こうした考えを強める契機となりました。
以降、私も改めて、自分なりに、「東條英機とは、そして、東條家とは」という命題と向き合い、2年後となる2017年から「東條英機の実像」という講演を始めたのは、ここにいらっしゃる多くの皆様の知るところかと思います。
そして、当初はそうした行いに対し、多くの賛同の声は頂きつつも、ごくごく一部ではございますが、誹りのメールをいただくこともございましたので、この名の持つ当事者としての難しさも重々理解しているつもりでもおります。
しかし、続けていくと、不思議なことに曾祖父にかかわるご縁や曾祖父の想いに触れる機会にまるで導かれるが如く恵まれていきました。
薩摩黒田家の黒田先生からも「東條くん、ご先祖さまと向き合っていれば、自ずと道が拓けるからそのままでいきなさい」とおっしゃっていただき、黒田先生は忘れていらっしゃるかもしれませんが、自分にとっては背中を押して頂いたありがたいお言葉でした。
すると、ある時、いわゆるA級戦犯の教誨師を務められた花山信勝先生の肉声CDをいただく機会に恵まれ、そこから曾祖父が処刑執行の直前、米兵看守らに「ご苦労さん、今までどうもありがとう」と感謝と労いの声をかけ、最後、皆さんで握手をして絞首台に臨まれたことを知りました。
つまり、曾祖父をはじめ、当時、執行をご一緒された松井大将、土肥原大将、武藤中将、曾祖父の4人は、亡くなる直前、恨みではなく、和解の精神で死地に至ったことをしり、私の務めは日米の和解、親善にこそ、その本意があると判断するに至りました。
そうした中、偶然にも、別の機会で、再度、ダニエルさんと繋がることになり、数奇な巡り合わせのもと、当初は二人で何かできればと考えておりましたが、他の国々の末裔たちも賛同の意志を示され、ともに今回のアクションを起こすことになりました。
もちろん、これがどこまでこの世界に少しでも可能性を示すものになるのかは分かりません。
言ってはみたものの、思いの外、理解が広がらず、一部だけの盛り上がりで終えってしまうかもしれません。
必ず世界に響かせます!という保証は正直できかねますが、それでも、このアクションは単なる思いつきで始めたものでも、十分な資金や余力があるから始めたものでは決してありません。
私も現在、52歳という中年期を迎えておりますが、ある意味、この52年間考え抜いた末に至ったものでございます。
そして、これこそが私なりに本来、曾祖父が臨む姿であると確信した結果、つまり、東條の名のもとに生まれた、ひとつの答えと考えております。
もちろん、問題はまだまだ山積しております。
これから事業スポンサーも見つけていかなければいけないですし、スケジュールの調整や準備、そして、署名を集める上での呼びかけ人となるインフルエンサーの確保、また、「この活動を支持します」と表明頂けそうな著名人の確保など、考えたら、まぁ、やること多すぎて正直逃げたいくらいですが(笑)、とにかく、やれることだけはやろうと考えおります。
もし、このあたり、ご協力並びにご理解頂けそうな方などいらっしゃいましたら、私までご連絡くださいませ。
ひとまず、6月下旬には渡英、9月10日から約2週間かけて日本国内を6名でいろいろと行脚する中、広島〜長崎間を自転車で走る予定でおります。
そして、11月もしくは年明けあたりに米国という算段ですが、どこまでやれるかはまぁ、予算次第かな。
今、少しずつではございますが、ご協力を頂ける企業さまや行政も現れ始めました。
詳細は、私のFacebookでも触れておりますが、私の仲間たちもこれから動き始めますので、私も今まで頂いたご縁の数々を全てここに注ぎ込むつもりでおります。
とにかく、数百万、いや、数千万の署名を集めたいと思いますが、ひとまず、具体的に動くにはもう少々時間がかかりそうです。
何か進捗がございましたら、改めてご報告いたしますが、まずは、私から「HOPE 80」を始めることをここにお伝え申し上げたいと思います。
簡単なPVもございますので、合わせてご参照いただければと思います。
令和7年1月23日
東條英利 拝